私と地方競馬(2)

2025-05-07

コラム:馬を訪ねて三千マイル

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地方競馬と中央競馬の馬券を半々くらいの割合で買っていた毎日が一変したきっかけは,馬インフルエンザだった。

2007年の夏,馬インフルエンザのせいで中央競馬の開催が突如なくなった。それでも惰性でいつものようにグリーンチャンネルをつけていた。手持ち無沙汰なグリーンチャンネルは延々と「競馬ワンダラー」の再放送を流していた。昭和40年代の曲とは思えないハイセンスで高音質なはっぴいえんどの「風をあつめて」「風来坊」をバックに,浅野靖典が全国の地方競馬や廃競馬場を巡る姿を無気力に眺めていた。するとわけもなく「もう地方競馬だけでいいや…」という気持ちになってきたのである。だいたい全馬が1秒そこそこの着差におさまる中央競馬の18頭なんて,アテモノみたいなものなのである。こんなのを予想するなんて正気の沙汰じゃないし,生きる活力を削がれていくに決まっているのだ。当時の私は早くも生きる気力を完全に喪っていた。やりたいことは何もなかった。たたただ惰性であまり頭を使わずに馬券を買いつづけられればそれでよかった。それを叶えてくれるのは地方競馬(しかも南関以外)だということを「競馬ワンダラー」が教えてくれた。また競馬ワンダラーの初代女性アシスタントがアンニュイで消え失せそうでとてもよかった。案の定すぐあとに芸能界を完全引退することになるのだが。とにかく,いつなくなるともわからない地方競馬を今のうちに見ておこう,という気力が,無気力な中に湧いてきたのである。

それからは廃競馬場を含む日本の競馬場を巡った。当時はまだ挑戦者だったANAに好んで乗っていた。頭金なし60回分割で買った106万のR33のメーターは20万kmを超えた。しょうがないから憧れのバブルのあだ花,2リッターV8エンジン搭載ユーノス500も25万円で買って競馬場巡りに使った。地方競馬は頭数が少なかった。毎回同じメンバーが走っていた。予想が当たる。楽しい。

そうこうするうち「こりゃ地方どころか海外の競馬の方が先になくなるぞ」と思うようになった。ノースウエストの5日間FIX北米3都市周遊のIT運賃が5万とかそういう時代だったし,今となってはよくあんなとこ泊まれたなというようなゲストハウスやモーテルで普通に寝て,Uberもない時代にどうやって移動したのかまったく覚えていないのだが,なんとか移動し,よくわからない競馬を無気力に見ていた。2001年に行こうとしたとき口蹄疫に阻まれたイギリスにも行った。異常なポンド高(しかもハイボラ)だったがイギリス行きの航空券もイギリスの物価もまだまだ安かった。ノーサンプトンのファクトリーストアに行くと,今じゃ20万以上する革靴が3万そこそこで買えた。

というわけで,地方競馬の馬券を買いつつ海外競馬の動向をチェックするだけの毎日が続いた。無気力だけど日々やることができたのでなんとか生きることができた。


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